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三鷹牟礼神明社の御由緒について

2008/02/01(金) すべて
牟礼神明社は、天文6年(1537)に北条層雲の家臣北条綱種(牟礼の旧家、高橋家の先祖)が上杉家の家臣灘波田弾正の立てこもる深大寺城(そばで有名な深大寺に城があったことを初めて知りました)に相対して陣を敷いた際、その陣営内にこの地の守護神として芝の神明宮の御分霊を勧請して、御鎮座せられ以来「お伊勢様」「神明様」と親しく呼ばれ、家内安全、五穀豊穣の神様として崇敬されています。また、相殿の稲荷神社は高山で祀られていたのを明治時代に合祀し、昭和35年に社務所を建設、昭和47年に奉賛会を結成、昭和58年には舞台を建設し、現在にいたるとのことです。温故知新という言葉があります。古きをたずねて新しいことを知るという意味に使われていますが、地域の歴史を勉強しその地域がどのように発展したのか知ることにより地主さんの気質とか考え方もわかるような気がします。そんなことも家づくりの参考になればと思います。

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