私たちの生い立ち
土地と注文住宅
スタートは土地私たちはこの東京・三鷹の地で、昭和44年の夏、不動産会社「多摩物産株式会社」として産声を上げました。当時、不動産会社というのはまだまだ少なく、土地が「野菜をつくる」場所から、「駐車場やアパートに利用する」商品へと、少しずつ移り始めた時代です。 弊社代表 高橋徹也は、三鷹生まれの三鷹育ち。高橋徹也の兄であり、丸栄建設会長の高橋作治が地主様と同じく、土地を所有し農業もおこなっていたことから、多摩物産は、「誤魔化される心配がない会社」という印象を地主様にもっていただいた様で、それは本当にありがたいことでした。 4年後に設立することになる住宅部「丸栄建設株式会社」が、この東京において土地を扱う会社を親にもちスタートしたことは、その後多くのお客様の信頼を勝ち取る1つの大きな要因となりました。 |
三鷹の街をずっと見てきました |
ターニングポイントは現場監督
設立当初の丸栄建設の家づくりは、建築を全て外部の工務店に発注する家づくりでした。
しかし、世の中の流れと共に順調に販売が続くも、私たちの中に「ある疑問」が沸々と湧き起こります。
お客様のお顔が見えない、
すなわちそこに思いのない家づくりには限界がある。
住宅建築を外部の設計士、外部の工務店に任せっきりでは限界がある。
土地に対する思いいれは人一倍。その土地に建つ家は、住む人が必ず幸せになる家でなくてはならないのです。
そして昭和61年、丸栄建設は注文住宅づくりの要である現場監督を自社で育てることを決意しました。
それは私たちにとって、大きな大きなターニングポイントとなりました。
いい家づくり宣言丸栄建設には、大切に守り続けてきた技、歴史そして心があります。 すべては永遠のゴール「いい家づくり」に向かってー。 |
夢をカタチにするのが |